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「陸上競技を愛したひげのライター永遠なれ~陸マガ・八田さん追悼~」

そこそこのレベルの陸上競技選手なら、誰でも一度は見たことがある顔、
ひげ面の八田正宏さんが6月27日に永眠された。
私は高校時代から八田さんと顔をあわせることが多かったが、名前は知らなかった。
いつも笑顔のひげの人、それが八田さんだった。
勝った時の取材は「おめでとー!!」と心底喜んでくれて、負け試合の時はタイミングを見計らい、細心の心遣いをしてくれた。
大学に進学してからは、もっと試合で会うことが多くなり、いつの日か『なっちゃ~ん!』と呼んでくれる、心許せるライターさんの一人となっていた。
私が指導者になって、初めて勧誘に出かけたとき(確か山梨県の関東大会)、一人で夕食を食べようと、偶然入ったほうとう(山梨の名物)屋で八田さんに会った。
『なっちゃん、一緒に食べようよ!』と声をかけられ、迷わず同席して、楽しい陸上談義に花が咲いたのを覚えいる。構えず、気を遣わずに話ができるのは、八田さんの人柄がなせる技だ!仕事とはいえ、必ず競技場にいて、陸上競技を楽しそうに観戦する中で、客観的にそして真剣に陸上競技を語る八田さんの意見は、指導者になってからは特にとても参考になった。
数年前に陸マガの編集長に就任された時、当時澤木先生の助手だった私に、『澤木強化委員長に書いてもらう「陸連時報」よろしくね!』と一番に挨拶があった。
私も「締め切りを早めに教えて下さいね!」と言ったものの、八田さんの言う締め切りは”本当に印刷に出す日のギリギリの時間”『○月○日○時頃までに・・・』だったのには驚いた。ご多忙の澤木先生を気遣い、そして澤木先生を信頼しているからこそ、だったからであろう。原稿ができたら速攻メールで配信し、「できました、編集長!」と冗談交じりに電話を入れる私に、本当は冷や冷やしてるはずなのに、いつも笑って『さすがなっちゃん、ありがと~!』と優しく対応してくれた。
今年3月に、体調を崩し編集部を移動されるとの連絡があった時には、「八田さんの取り立てがなくなるのは寂しいです!」と返信した。
実は、数年前から私の恩師筑紫女学園の河村監督と私で、ある構想を八田さんに相談していたのだが、『約束は必ず守るから、また連絡を取り合いましょう』というメールをもらったのが最後となってしまった。

陸上競技をとことん愛し、どっぷり浸かっていた人情派ライター八田さん。
「陸上競技」でのつながりが、こんなにすばらしい人間関係になるとは思わなかった。
明日から日本インカレ。
国立競技場のプレス席に、八田さんはいるに違いない。姿は見えなくとも、いつもの場所に、いつもの笑顔で・・・、八田さんは永遠に陸上競技場にいるはずだ。
そして、これからも日本の陸上競技を見守ってくれるだろう。
ご冥福を心よりお祈りいたします。

2004-07-01
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