Blog

「応援する人、される人」

トマト、リンゴ、みかん等、今年も順天堂大学の陸上競技研究室には、OB・OGをはじめ多くの駅伝を応援してくれる方々から激励の品々が届く。
本当にありがたいことだ。
卒業生とはそんなもので、自分の名前や顔を知らない、世代の違う後輩でも応援する気持ちは変わらないのだ。
母校や後輩を応援し、後輩の頑張る姿を見ることで、もう二度と帰れない昔の自分の青春時代を思い出す。
そして、後輩の活躍に感動したり、一喜一憂したりして、ワクワク、ドキドキを楽しむ。
また、今の自分と照らし合わせて「自分も頑張るぞ~」と発奮したり、勇気をもらったりするのだ。
逆に、後輩達の成績が不振であれば、「後輩達、だらしないぞ!」と叱咤激励し、自分たちの築いた歴史をきちんと継承させるお目付役となる。それが先輩の役目というものだ。かくゆう私も、母校・筑紫女学園高校を毎年応援しているのでよくわかる。

一方、応援される側はどうだろう?
箱根駅伝のように、日本全国の多くの人たちの声援を受ける彼らは、普通では感じ得ない「感謝の気持ち」と「幸福感」、そして「緊張感」に包まれているに違いない。芸能人と一緒だ。
でも、だからといって万が一失敗したらどうしよう・・・などと考える必要なんて全然ない。
たまに、「応援がプレッシャーになるかも知れない」と思う人もいるようだが、
それは応援が原因ではなく、その選手の精神状態に原因があるだけだ。
だって、「応援する人」は勝手に応援しているだけで、選手が頼んだわけじゃない。
そして、「応援する人」は応援したことに対して利益をもらおうとは思っていないし、応援する価値のない人の応援なんてやらない。
応援とはまさに”無償の愛”なのだ。
「応援される人」はその気持ちをありがたく受け取り、頑張ればいいだけなのだ。

実は私は、いまだに知らない人にユニバーで倒れたことを、「あのときは心配したよ」とか「応援してたよ」などと言われることがある。
それを聞くと、「応援してくれてありがとうございました」と心底お礼の言葉を伝える。
応援する人の気持ちも、応援される人の気持ちも、どちらもその時は一生懸命だから
時間がたってもその気持ちは薄れないものなんだな~と感じる。

応援とは、他人の気持ちを思いやらなければできない。人間の優しさだと私は思う。
「応援する人」も、「応援される人」も一生懸命になれるスポーツはやっぱり最高だ。
年を増すごとに、応援してくれる人のありがたさを感じるnatsuwayなのでした。

2004-12-24
« | »