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「“常識”の範囲」

ここ数日、新聞、TV、ネット上で報道されているとおり、本学の箱根駅伝選手が事故渋滞で全然車が動かなくなった首都高を、車から降りて歩いてしまったことが大きく取り沙汰された。
当事者に話を聞いたが「ゴールに間に合わなくてつい・・・」とのこと。
気持ちはわからないでもないが、そんなことより、なんで高速なのに車から出るの?危ないと思わなかったの?と私は不思議に思うのだが・・・。彼ら(ランナーのほとんど)は、日頃からビュンビュン走る車の脇を走ることに慣れているので、何とも思わなかったのかな?
いずれにしても、彼らはこんなに大問題になるとは思っていなかったので反省しきりである。

私が大学の教員になってからというもの、年々「え~なんで~~!!」って言うようなありえないことに遭遇することが増えたような気がする。それは、我々の”常識”と彼らの”常識”には明らかに食い違いがあるからだ。
漢字は書けないけど、デコメールができるのは常識。
”謹啓”の後は謹白”だということは常識ではなくて、昨年の流行語になった「セカチュー」の意味を知ってることは常識なのだ。(ちなみに私は知りませんでした・・・!)
だいたい、大学の授業を飲食しながら受講することはいつから常識になったんだ?
挨拶をするときは帽子を取るのが常識だろう!
どうして朝練で『こんにちわ』と挨拶するのか?!
それって家庭で教わる”しつけ”ではないのか。
”常識”とは教科書に書かれていない社会のルールである。となると、大人とのふれあい、社会との接点が少なくなったことで、”常識”に触れる機会も減ってきたのではないだろうか。また、めんどくさがって、嫌われるのを恐れて?”お小言”を言わなくなった親や教師の責任は否めないだろう。だって、学生達はこう見えてもとても賢いからだ。彼らは機能が充実した携帯電話をいち早く使いこなし、パソコン操作だってとっても上手い。芸能ネタやトピックスもあっという間に広がる情報網を持ち、それに順応するのも早い。
しかし、彼らは「他人に聞くこと」「教えてもらうこと」「注意されること」をあまり好まない。できるだけ事を荒立てないようにその場をやり過ごす”事なかれ主義者”が増えているように感じる。
でもね、”新しい常識”も大事だけど、まずは”必要な常識”を身につけることから始めてほしい。衝動や私利私欲で行動するのではなく、物事の先を読んで行動できる大人になってほしい。
わからなければ、人生の先輩に相談すればいい。”聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥”というだろう。
そういう私も人に言うほど”常識”があるわけではないが、「このくらい知ってるだろう」と思って、学生に接するのはとても危険だということを身にしみて感じた一件でもあった。これからはますます?口うるさいおばちゃんになって??学生諸君の”常識”UPに貢献しなければいけないなぁ~。

最後に、たくさんの方々にご迷惑やご心配をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。

2005-01-08
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