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「永遠のライバルは一生の友達」

先日、世界陸上ヘルシンキ大会の日本代表選手が発表された。
6月6日19:00頃に、私の携帯に「やったぁ~!」というタイトルでメールが入った。送り主は早狩実紀。女子3000mSCの日本代表に見事選出された、私の永遠のライバルであり高校からの親友だ。私も本当に嬉しかった。まさに彼女の努力が実ったのだ。すぐさま「おめでとう」メールを返信した。

私の陸上人生は彼女なくしては語れない。いまから15年前の高校3年生の時。私は彼女にこてんぱんにやられた。
私がランキングNO.1で挑んだ宮城インターハイ女子3000m。私は高校日本新記録ペースで2900mまでレースをリードしたが、ラストで早狩実紀にかわされ、両者高校新ではあったが2位に甘んじたのだった。それはそれは悔しく、夜も眠れない日々が続いた。そして、その年の10月に地元で開催される「とびうめ国体」でのリベンジに向けて練習に邁進した。
忘れもしない1990年10月23日。とびうめ国体女子3000mはまさに早狩実紀と私の一騎打ちだった。インターハイで敗戦した後、いろんな方々に『先頭を引っ張らず、力を温存してロングスパートをした方が勝てるから・・・』と助言をもらっていた。しかし、河村監督だけは”自分の好きなように走れ”と送り出してくれた。私と監督の腹は決まっていたのだ。
私はスタートからインターハイの時のタイムを上回るハイペースで突っ走った。これが私のスタイル。これで勝たなければリベンジにならないと思っていた。そして運命のラスト100m、彼女の鮮やかなスパートが決まり2度目の敗北を喫したのだった。その時私は「早狩には勝てない!」と心底降参した。だから後にも先にも私の永遠のライバルは彼女だけなのである。
ほどなく私たちは一緒に世界クロカンや海外合宿等で仲良しになった。現在では年に数回試合で会えば近況を語り合う(私の結婚式ではビデオレターをくれました!)気の合う友達となった。

私は本当に彼女に感謝している。彼女がいなかったら高校記録を樹立できなかっただろうし、陸上競技を続けていなかったかも知れないからだ。スポーツに限らず、同じ目標を持って切磋琢磨した仲間は、たとえライバルであっても同志だ。私はよきライバルに出会い、このような人と人とのつながりが持てたことは、一生の宝物だと思っている。

33歳にして世界陸上出場が決まった早狩実紀。しかも日本ではまだほとんど普及していない3000mSCでだ。さすが私の永遠のライバルだ!
写真を見てもわかるように、彼女の腰高でキレのあるフォームと、このチャレンジ精神、そしてハードルは付くが私との死闘を制した?得意の3000mとなれば、必ずやヘルシンキで一花咲かしてくれるはずだ。頑張れ実紀!応援してるぞ~~!!

1990年とびうめ国体(左は京都・早狩選手、右は福岡・natsuway)

2005-06-08
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