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「6年ぶりの自己新」

『6年ぶりに5000mで自己新出しました!』と喜びの電話が入った。電話の主は2年前に順大を卒業した教え子、長尾育子選手(積水化学陸上部)。先日の神戸女子選抜陸上で15分43秒の念願の自己新を出したとのこと。
教え子からの『自己新報告』ほど嬉しいものはない。
彼女は9月上旬のロックンロールハーフマラソンで大幅に自己記録を更新した時にも国際電話を入れてくれた。そのレースでは、私の親友高橋Qちゃんを破る大金星を収めていたので、今回の5000mの自己新も当然ではあるが、なんてったって6年ぶりの自己新は格別の思いだったに違いない。

彼女は私が順大の指導者になって初めて勧誘した選手で、私の高校、大学の後輩でもある。当時、高校No.1の藤永佳子選手(諫早→筑波→資生堂)との死闘を制し、高校生で始めて3000mで9分を切った歴史に残る選手だ。
ちなみに5000mの自己記録も高校3年次のもの。私の持つ筑女記録(16’00″86)をわずか0.56″上回る16’00″30で順大に入学してきた。

私が言うのもおかしいが、まだまだ弱小の順天堂大学によく来てくれた。しかし、私の指導が至らず、順大時代は怪我に泣いた。年間の半分は怪我をしていたのではないだろうか。でも決して彼女は腐ることはなかった。5000mで17分くらいかかってしまっても、次の試合には「目標は15分50秒」と書いて持ってくる。常に試合では自己記録を目指して走るのが彼女の信条だった。順大ではトラックでなかなか記録が出せなかったが、唯一順大記録保持者に名を連ねているのはハーフマラソン。しかしそれも私の持つ順大記録と全くの同タイム、1時間13分12秒だったため仲良く?連名となってしまった。そのボードを見るたびに、あと1秒でも速く走らせてあげれなかったことに胸が痛む。早くこの記録を破る選手を作るしかない。

正直言って、彼女は大学時代の実績はほとんどないに等しかったが、4年次には多くの実業団から勧誘が来た。怪我さえなければ大物になる要素を備えていたからだ。しかし、いつも私は彼女に言っていた『怪我をしないのも素質、怪我を治すのも素質。自分の怪我を治せないやつは一生強くならない』と。これは自分が現役時代にいつも心においていたことだ。結局、自分の身体のことは誰よりも自分自身が知り尽くしていなければいけないということ。まだまだ現役色が強かった頃の私。
今は少し違う。同じ言葉でも”怪我をするようなトレーニングを組んだ指導者の責任だ”という思いがコーティングされている。彼女の指導を通じて私もいろいろなことを学ばせてもらった。

彼女にとってこの6年ぶりの自己新は6年間の努力の証。これからが新たな目標へのスタートとなる。また私の携帯に”自己新コール”が届くのを心待ちにしていよう!

2005-10-18
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